2017年12月15日

天狗の鼻

 若い時には、とかく“つもりの世界の住人”になりやすいものらしい。
私自身も、少しは指が動き、サビーカスやリカルド、そしてセラニートやパコ・デ・ルシアの曲なんかも“それなりに”音が出せるようになってきた頃、“うん、僕はひょっとしたら天才に近いのかも‥”‥なんて、バカバカしくも哀しい想いに至ったことがある。
今想えば、恥ずかしい限りだし、みっともないことなのだが、同じような妄想に陥っている人たちの為に、敢えて恥をさらそうと考え、書く次第、です。

さて、私の“個人的妄想から来ていた天狗の鼻”は、セビージャ大学の1年生に、いとも簡単に折られてしまった(^^;)。

彼はスウェーデンから、スペイン文学を勉強に来ていた学生だった。私と同い年の19歳だった。
せっかくスペインに来たのだからとフラメンコギターにも興味を持ち、地元のアマチュアやプロたちと遊びながら覚えていったという。
ひょっとしたきっけでその学生と知り合い、一緒に練習をし始めた時、いきなりパコ・デ・ルシアのタランタスを聴かされた。
“パキーン!”と“鼻”が折れた音が私の頭の中で響いた瞬間だった。

凄い!!まるでパコが目の前で弾いているような錯覚に陥るほどの演奏だった。
訊いてみると、ギターを始めて3年、フラメンコギターは1年程度だという‥‥嘘だ!そんな短期間でこんなに弾けるようになる筈はない‥‥と、一方的に決め込もうとする哀れな私でした(^-^;

スウェーデンから一緒に来ていた彼の友人の話によれば、彼の言うことは正しいらしい。
その時点で私のギター歴は、クラシックが6年、フラメンコは3年だった‥‥何という差だ‥‥全身に鳥肌が立ってしまった‥‥。
それ以来、彼を通じて地元のアマチュアやプロのアーティストたちを紹介され、いろいろな経験を積むにつれ、結果的に“自分流の練習方法”を改めることになった。
一皮剥けた瞬間でもあった。

今考えれば、その時の彼の演奏は、アマチュアとしてはかなりのレベルだったが、プロの演奏とは異なる質だったことが理解できる。ただ、当時はその差を理解・感じる能力が無かったからだ、と思う。
というのも、それ以後の私の経験によって、理解度の大きさ・深さに対する“密な感受性”を養うことができたからだ、と思う。

結局、凡人にとっては“何事も粗から密‥”ということだろう。初めから“密”が理解・実践できるはずはない‥‥。
ただし、私自身が“密な感受性が養われた”と勝手に思っている“つもりの世界の住人”になっているのではないのか‥!?‥という問いかけに対しては、私は絶えず自身をチェックしている、ということを言っておきたい('◇')ゞ
というのも、去年と今年では、聴こえ方が少し違っているから‥‥ひょっとして、退化してたりして‥‥怖い、怖い‥‥(^^;)
“絶えず自分の足元をチェックしなさい!!”‥というメルチョール先生の言葉を肝に銘じている。

初めは聴こえなかった音が、リズムが、そして音の世界が、必要な経験と訓練によって、初めて自分の頭と心の中に現れてくるようだ。
でも、天才たちには初めから見えているんだろうな〜!!
とにかく、凡人を極めよう!!‥‥と思っている今日この頃の私である。



posted by 羊飼い at 11:16| Comment(0) | TrackBack(0) | タマ〜に書く日記
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